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July 2007

July 16, 2007

群馬選抜・全国大会in鹿児島!3

選抜
7月13(金)から行われた全国選抜フットサル大会に行って来ました。
SELECTIVO de OHRAから再選考後選ばれた選手は下記の通り。



選手

・北隅 智宙
・熊倉 巧也
・岩尾 信明
・石村 優介
・鈴木 誠
・関口 勝久
・(新井 裕巳)

スタッフ 

・福島 聡

以上の選手が全国大会に登録されました。

群馬選抜は全国予選リーグ1戦目を13対1で勝利するものの続く山形、静岡に破れ全国予選リーグ敗退となってしまいました。

しかし、お金を掛け鹿児島まで行き精一杯がんばった選手達には敬意を表したいと思います。

日本代表監督のサッポは初日から終日観戦に来ていたようです。

試合後、突如サッポが現れ、色々話を聞かせてもらいました。

その場にいた日本人は私と群馬監督だけだったのでチアゴに所々で通訳をしてもらいました。

うちの選手の事も少しは話して褒めて頂いていたそうです。

しかし、選抜って難しいですね。

自分のチームではないのでやり方も違えば評価のされ方も難しい。

でも万が一、日本代表に選ばれたらそのやり方に合わせなきゃいけない訳で、監督の言うことは絶対である。

群馬選抜も一緒。

どのチームでも監督の評価は絶対の訳で信頼されなければ使われない。
もちろん監督のやり方にフィットしなければほされる。

すべては他人のせいではなく自分のせいなのである。

がんばって日本代表に選ばれるくらいの選手がOHRAから選ばれたら本当に嬉しい。

他県でも知っている方々が多少いらしたので少しお話をさせてもらいました。

フットサルを続けていればどこかでまた会える!って関東予選の時にチアゴと難波田選手が話しているのを聞いたのが頭に残ってます。

気持ちをリーグに切り替えてがんばろう!

Bor sorte!

July 08, 2007

KFL2・第三節!みつわ台戦!1

7月7日(土)JFE千葉にて関東リーグ第三節・みつわ台戦。

結果は1対1の引き分け。

ただ正直敗戦したような気分です。

何が勝ちきれなかった要因なのか?

自分なりの分析をしてみます。

一つ。まずは第二節に勝利した事で勝って兜の緒を締めろ!と言ったものの皆の中でそうは言ってもどうにかなるだろうという気持ちが少なからずあったであろう。

なんとかなるだろう。ではなんとかならない事。

一つ。今回はメンバーが多くいた為、気持ちの余裕と誰かがなんとかしてくれるという緩み。その為、傍観者もメンバーにはいたと思う。

自分自身がなんとかしよう!という気持ちの欠如。

一つ。ファールを多く取られ余裕がなくなり後手後手になってしまった。前半・後半ともに早い時間に5ファール。審判のせいではなく自分達自身がゲームコントロール出来ていない証拠。

その為、雰囲気が悪くなり声がなくなる。

誰かのせいではなく自分達の気持ちより相手の気持ちが高かった証拠。

メンバー入りしたにも関わらず試合中、アップもせず、声も出さない選手がいた。

勝てなかった原因は自分達自身にある。

後半半ばから、私は気持ちの入った選手と気持ちのない選手が別れた気がする。

1対1を仕掛け、必死な選手と誰かがどうにかしてくれるだろうという選手。

欲しかったのは追加点。そのうちどうにかなるだろうではどうにもならない。

審判の判断は絶対である。覆る事は100%ない。

チャレンジ精神を忘れず勝つ気持ちがあったかなかったか?それだけの差だと思う。

こんなはずじゃなかったと思わない試合をしよう!と言った結果がこうなってしまった。

これを機に全体ミーティングを行う。ここが機転になると思う。

まだリーグ序盤!この引き分けを逆にプラスに考え次節以降仕掛けたい。

ここから気持ちを切り替えて行くぞ!

ここからが勝負だ。

July 06, 2007

私自身の半生を振り返り・・・。1

今日は私個人の勝手なサッカー半生を振り返ります。

独り言だと思って受け流して下さい。

私がサッカーを始めたのは小学校2年の初め。

キャプテン翼に憧れサッカーを始めた当時はよくいた少年だった。

ポジションはFW・MF・DFと転々とした。

決して上手い選手とは言えなかった。

むしろ下手で根性だけでやっていた感じだった。

今は身長が175cmあるが当時は前から2番目位で小さい方だった。

根性は本当にあったと思う。

マラソン大会は根性で走り1位、2位、3位すべて取った事がある。小柄ながら。

サッカーは下手なりにがんばっていた。

小さかったので良く怪我もした。

でも最後はDFのプレイヤーで負けたくない気持ちが強くがんばっていた。

そう、がんばることしか取柄がなかったと思う。

そのがんばりが小学校6年の最後の大会中に悲劇を生んだ。

大腿骨骨頭滑症。

聞いた事のない病気だった。

小柄なカラダに対し成長期の過度な運動に絶えられなくなった病気だった。

骨がカラダを支えきれなくなり軟骨がずれて行く症状。

医者は初期時は筋肉痛と言い、練習はしても良いと言う判断だった。

しかし、それは誤診だった。

大会中にボールが急に蹴れなくなった。軸足が支えられず。

色々な病院を周ったが治すことは出来ず、栃木県の自治医科大学病院にて大腿骨にボルトを2本入れる手術をした。

この時に生まれて初めて母親が泣いた姿を見た。『途中で止めさせてれば・・・。』

3ヶ月車椅子、入院。実家から約1時間半かかる病院だったが母親は毎日お見舞いに来た。

半年間松葉杖という時を過ごした。

医者に言われた。『もう元に戻る事は不可能。本気の運動は出来ない。』と。

当時はサッカー好きでよく試合を見に来ていた親はそこから俺をサッカーから遠ざけた。

もう出来ないんだから見るとまたしたくなるだろうと言う理由で。

中学でもサッカー部に入ることを俺自身は望んだが親は遠ざけた。

そして違う部活に入った。

でも医者が言うように中学3年間運動をすることは出来なかった。

中学3年の夏に二度目の手術。

体育の成績は2。当たり前だろ。

高校に入り少し運動することを許されたがサッカー部に入ることは無かった。

俺は脚が細い。みんなに言われる。

それは当たり前。カラダが成長する時期に運動のうの字もしてないのだから。

大学ではサッカーのサークルに入るも半年足らずで辞めた。

俺なりのコンプレックス。

社会人になってサッカーチームを遊び半分で作った。

それが今のSELECTIVO de OHRAに至る。

OHRAの選手は俺が見れなかった夢を沢山見せてくれている。

OHRAが好きな理由は俺が叶えられなかった事を沢山叶えてくれるからかもしれない。

これからも夢を見せて欲しい。

許されるなら。

プレーは出来なくても自分自身沢山勉強して皆に着いて行きたい。

ちょっとシリアスになったが本当の話。

知らなかったメンバーも沢山いると思う。

ただ自分のサッカー半生としてここに記しておきたかっただけ。

チームとは関係ないけど今日はこんな気分だった。

うちの子は娘で夢は託せなかったけど皆が友であり家族みたいなもんだからがんばってこれからも夢をみさせて下さい。

もし自分が離れても永遠にSELECTIVO de OHRAが受け継がれて欲しい。

これからもずっと先もKeep in touch・・・・
satoshi_f at 01:43|この記事のURLComments(6)OHRA神話 
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